日本人である誇り

 

Bula
本日もMoco in FijiよりHotな情報を伝えていきます

今日は、海外で活躍する日本人の方の記事を
インターネットより抜粋させて頂きます

下段、2名、是非ご覧ください


6000
人の助産婦を拾い上げた助産婦 牧野幸江さん

 

 

昭和8年、京都に生まれた牧野さんは、人の助けになりたいと、
22歳の時、京都第1赤十字病院に勤務。助産師の資格をとる。

25歳で、キリスト教の修道会に入会。


“海外の人の役に立ちたい”という想いからシスターとなる。


そして、10年後、ようやく、牧野の元に海外赴任の話が。
フランス、台湾そして3カ所目の赴任先が
マダガスカルだった。


貧困、栄養不足など、最も貧しい国と言われるマダガスカルでは、
出産育児の環境が恵まれていない。

人口の3分の2は、産院がない地方に住んでいる為、
ほとんどが専門知識がない、村の産婆が手を貸している。

また、栄養状態が悪い母親は、母乳の出がよくない為、
充分な母乳が乳児に与えられない。

離乳食に対する知識も全く持って知らない。

このような状況で、マダガスカルの乳児は、9人に1人が死んでしまい、
5歳未満の低体重児の割合が41、9
%
と世界でも類を見ない高さである。


そんな状況を打破しようと、牧野はあらゆるチャレンジを試みている。



多い時には1日10件の出産を自ら手掛け、

充分な知識がない妊婦達に対して、
離乳食など出産育児の知識を教える「母親学級」や、

マダガスカルでは高級と
される粉ミルクの無料配給、
白内障を初めとする乳児がかかる病気を食い止める為の予防接種の導入や、

さらに産院がない地方への訪問看護など、
丈夫な赤ちゃんを安心して埋める環境作りを目指している。



そして、17年間で述べ、6000人の命が牧野によって救われている




1
万人の子供の命を救う医師 吉岡秀人さん 


 

 

乳幼児の死亡率がアジアで最も高いとされるミャンマー。

そんな中、子供たちの治療を無償で行うのが日本人医師・吉岡秀人(45)。

テレビで見たアフリカの飢えた子供の姿に衝撃を受け、医者の道に。
29歳の時、初めて訪れたミャンマーで医者不足を痛感し、診療所を開く。

1日200人の患者をたった1人で診察し、
日本なら専門医が必要な事例も、吉岡は独自で技術を学び、治療にあたった。


2003年に、お寺が経営していた病院を借り受け、さらなる治療に励む。


夏場は気温
40度を超える手術室で懐中電灯の明かりを頼りに日に10,
年間1000
件もの手術をこなす。


これまで述べ、1万人以上の手術を手掛ける。


そんな吉岡の病院には、噂を聞きつけ
2日も3日もかけて訪ねてくる患者が絶えない。



2004年には医療ボランティア団体「ジャパン・ハート」を設立。

カンボジアでの医療技術指導や、看護師育成、

2008年ミャンマーで起こった大型サイクロンの被災地での
救援活動などその支援は多岐に渡る。

 


実は、3月30日にFijiでも大きな被害にあった洪水。
私の家は全滅しました…
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そんな被害の中、真っ先に助けに向かったのが
Fijiで活躍するJICAのメンバーの方々

そして、日本政府が今回1番の多額を
Fijiに寄付して下さりました

今回の災害を経て、私自身、
改めて日本人である事に誇りを持ちました

海外に住むと、初めて客観的に自分の母国を
見つめ直す事が出来ます

普段、当たり前としている事が、
当たり前ではなくなった時、
人は初めてそれに感謝出来るものです

私も海外生活で
日本人が持つ、繊細さ、気遣い、そして心優しき愛情、
日本人が持つ全てに誇りを持てるようになりました


もっと日本人マザーテレサを増やそう

世界がもっと笑顔になる
世界がもっと幸せになる
世界がもっと愛で包まれる


私たちの生徒さん達も
Fijiで日本とはまた違った愛に触れ
優しく強く笑顔で生きています

そして、愛と共に世界に羽ばたき続けています

Love  Peace
Moco

 

 

lp