フィジー留学で英語以外に学べること②~コミュニケーション編~

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BULA!! みなさんこんにちは、ひかるです。

最近『ひとり○○』という言葉をよく耳にします。ひとりカラオケ、ひとり映画、ひとり焼肉…。なぜ、ひとりで何かをすることが特別であり、勇気があると思われるのでしょうか。
それは、みなさんが『ひとり』のさみしさを知っているからだと思います。

その『ひとりの孤独感』のようなものを感じないのがフィジーを好きな理由のひとつです。フィジーで孤独を感じない理由。それは、フィジーの人々の国民性にあります。

『1人でいても独りだと感じない。1人だったはずが、気づいたらまわりに人がいる。』
1か月の滞在で私が感じた成長の1つがそこにもありました。

それに気づいたのは帰国1週間後の “ひとり韓国旅行” をしたとき。

今回はみなさんに【フィジーで英語以外に学べること~コミュニケーション編~】についてお話したいと思います。

フィジアンがフレンドリーって本当!?

フィジアンがフレンドリーって本当!?

以前の記事にフィジーの人々は陽気であり、気軽に声をかけてくれるところが特徴だと書いてありました。

実際、私が様々なトラブル(物の紛失や、迷子など)に遭遇したとき、声をかけて助けてもらった経験がたくさんあります。(こちらの記事をご参照ください)

そこで、どんなときに彼らをフレンドリーだと思うのか、いくつかご紹介したいと思います。

すれ違う時に必ず「ブラ!!」と声を掛けられる

おそらく、みなさんも近所の方に会ったとき「こんにちは」と挨拶されるかと思います。フィジアンの挨拶は、それよりもう少し力がこもり、満面の笑みがセットになっている感じがします。

”ブラ(こんにちは)!”の後は、

日本人?学生?どのくらい滞在してるの?フィジーは好き?と質問攻め。

これが毎回となると、500メートル先のスーパーに行くだけでも30分はかかります。

 

初対面の人にここまで話しかけられることはあまりないと思いますが、フィジーでは割と頻繁にこのようなスモールトークが始まります。

 

ココナッツを売っているお兄さんたちに声をかけられたときは、実際に木に登ってココナッツを取り、皮をむいて穴をあけてくれました。

『そのまま飲むのがフィジアンスタイルさ!』とストローなしでくれたので、Tシャツがベトベトになった思い出もあります。(フィジアンになるにはまだ早かったようです。)

誰もがみな家族のよう

ある日、快晴の中、ジムにトレーニングしに行ったことがありました。

行きは快晴だったはずなのに、帰るときに突然スコールのような雨。

バス停まで10分ほど歩く必要があり、なかなかタクシーも来ないような場所でした。

 

ジムの警備員に「これはしばらく止まないと思うよ。」と言われ、途方にくれて彼と止むのを待ちながら世間話をしていました。

 

そこに現れた救世主。

そのジムのテニスのコーチが「クラスがキャンセルになった。どうしようもないね、この雨。」と一緒に雨宿り。

 

結局雨は止まず、家は彼らとは逆方向でしたが、そのコーチのいとこに家まで送ってもらいました。このように、フィジーでは、その場で仲良くなった人に送ってもらったり、一緒に飲みに行ったりすることがたびたびあります。

 

私の友人の中には、バスを使わず、ヒッチハイクで目的地に行っている人もいました。

※もちろん危険な場合もあるので、本当に信頼できる人の車にだけ乗ります。

突然お家に招かれることも

『ディワリ』というインディアンのお祭りの日、友人とバスを使わずに1日中歩いていたことがあります。そのとき、あるインディアンの家族に声をかけられました。

『こっちにおいでよ!』

のども乾いて、疲れていたため、少し休憩をしようということになり、その家族のもとへ。

彼らは、初めて会った私たちを家に迎え入れて、ディワリ用に作ったお菓子や、ジュースなどをふるまってくれました。

「こんなにいいの?なんでそんなに親切なの?」と聞くと

『今日はお祭りの日だから、みんなでお祝いするのよ。家族かどうかなんて関係ないわ』と言って、家を出発する際に、凍らせたペットボトルの水と、お菓子を袋に詰めて渡してくれました。

※イメージです

 

こんなにもフィジーの人々がフレンドリーであり、誰に対しても心を開いてくれると、自分も心を開きやすくなり、声をかけることへの恐怖心や緊張感がなくなります。

【1人でいるのに独りじゃない】

これはフィジーにいるとき、いつも感じていたことです。 もちろん誰かと一緒にいた方が楽しく、安心します。ですが、あえて1人で町やビーチに行ってみたりすると、誰かと一緒にいる時よりも声をかけられることが多くなります。 いつも決まったスモールトークではありますが、そのスモールトークが私と彼らを近づけるきっかけになってくれます。

道を歩いているとき、友達を待っているとき、バスに乗っているとき、買い物をしているとき。フィジーの人たちは何気なく声をかけてくれます。

これが1か月も続けば、私からフィジーの人に声をかけることもできるようになります。自分から「ブラ!」と声をかけてみたり、ただ座っている警備員と話してみたり。

話しかけて嫌な顔をされることは一度もありませんでした。話しかけて後悔したり、嫌な思いをしたりすることも一度もありませんでした。

ただ、私はどこにいても独りにはならないんだなと思うだけでした。

警備員と仲良くなり、マンゴーをもらうこともありました。

自分の中の何かが変わり、それがフィジーでの経験のおかげであるとわかったのは、帰国一週間後のある出来事からです。

人生初めての “海外ひとり旅行”

私は、フィジー留学を終えた1週間後、ひとりで韓国へ旅行に行きました。 現地集合となっていたはずの友人はトラブルのため来れないことに。

急遽その旅行は、人生初の『ひとり旅行』となりました。

現地で急いで計画を立て、自分なりに旅行を満喫する予定でした。

ある人気のカフェで順番待ちをしていたとき、隣で同じく順番待ちをしている男性がいました。ただ何となく「誰か待ってる?どこから来たの?」と声をかけました。それはフィジーで人に話しかけていたときと何ら変わりありません。

彼は少し驚いた様子でしたが、自分がロシアから来たこと、フランス人の友人と旅行していること、日本のアニメが好きでいつか訪れたいと思っていることを話してくれました。 そして『一緒にお茶する?』と一言。

結局そのあとも彼らと1日一緒に観光することに。 私はその日の夜中に出発の予定だったため、そのときにお別れし、次は日本で会おうと約束しました。彼らとは今でも連絡をとっています。

『英語で外国人に話しかけるなんて』 英語を話すことが苦手だったかつての私はそう思っていました。

韓国で2人と行動を共にすることになった時も、自分自身にとても驚きました。 英語を使って海外の人とコミュニケーションをとっている自分が想像できなかったからです。

しかし、話しかけることも、会話をすることも、英語が苦手な私にだってできるんだと気づかされました。すべての行動は意識的に行われていたわけではなく、ごく自然にできていました。

人に話しかけることに抵抗がなくなり、『上手じゃない英語』を話すことにも抵抗はありませんでした。これはフィジー留学で英語以外に得られたものだとそのときに確信したのです。

国籍が違う人たちとコミュニケーションを図るには言葉が大きな壁となります。しかし、言葉以前に「その人と関わりたいと思っているかどうかを相手に示す」ことの方が、大切なのではないかと感じます。 フィジーに滞在し、多くの人との関わりの中で、強く感じたこと。それは、言葉の違いは関係なく、様々な人と話せることは喜びだということ。これが私がフィジーで得た英語以外の大切な教訓です。

それではまた。

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