スマホとお金がなくても生きていけた!?~私の原点はここにあり~
BULA!! みなさん、こんにちは!ひかるです。
突然ですが、みなさんにとっての“生活必需品”は何ですか?
私は、出かけたり遊びに行ったりするとき、慌てていても
『財布とスマホさえあれば大丈夫!』
といつも言い聞かせて出かけます。
とりあえず、友達や家族と連絡が取れれば大丈夫。
とりあえず、何か必要になれば買うから大丈夫。
実際どんな場面においても、この2つがあれば何とかなります。
もちろんこの2つは、フィジーにいても必需品であり、常に持ち歩くべきものです。
と思っていた私ですが、フィジーという小さな島国で、その生活必需品を失いました。そして、自分に本当に必要なものは何なのか、ということに気づいたのです。
ということで、今回は【フィジーでスマホと現金を失ったお話】について書きたいと思います。
目次
バスとともに消えていった私のスマホ
留学生活2週間を終え、折り返し地点となったある日、私は友人とラグビーの試合を見に行きました。
ラグビー観戦をずっと楽しみにしていた私は、バスの中でテンションが頂点に。 いつも手に持っていたはずのスマホ(画面を変えたばかりのiPhone6Sでした…)を座席に置いたまま、競技場へ。
試合風景を写真に収めよう!と思ったとき、やっとスマホを忘れたことに気が付きました。 バス停に戻った時には、もう時既に遅し。
焦った私はそこにいたフィジアンに「スマホを失くした。こういう時はどうすればいい?」と聞きました。フィジアンはいつも通りの満面の笑みで答えてくれました。
『バスで失くした?もう見つからないさ、ハッハ‼』
…ハッハ?…そうか、もう見つからないか!
一瞬で諦めました。
そのとき、私の頭の中は、“失ったスマホをどうやって見つけるか”ではなく、“スマホがなくて困ることは何か”ということ。
すでに落ち着きを取り戻していた私は友達の携帯を借りて、SNSから親に今後日本に帰るまで連絡が取れないことだけ伝えました。
良いことばかりのスマホなし生活
その日から私の生活は一変しました。
具体的に何が変わったかというと、
- 日本の友達と一切連絡を取れなくなった
- 夜はやることがないので9時前に寝るようになった
- ホームステイの家族と話す時間が増えた
- 毎朝6時に鳥のさえずりと野犬の鳴き声で目を覚ますようになった
- 毎日2つのノートにびっちり日記を書くようになった
- 自分について考える時間が増えた
- 時間に縛られることがなくなった
スマホがないと生きてはいけないと思っていた私でしたが、残りの2週間しっかり生きていました。むしろ、自分にとっていいことばかりだったのです。
↑ 実際に毎日記入していたノートです。
その日に感じたことや見たものをそのまま書き込んでいました。
失ったスマホが教えてくれたこと
私がスマホ紛失により、失ったものは、時計と日本とのつながりです。
腕時計とアラームを持っていなかった私は、スマホを失くしたことで「時間を気にする」という概念がなくなりました。
夜は暗くなり、眠くなったら、寝る。
朝は明るくなり、鳥や野犬が鳴き始めたら、起きる。
バスには時刻表がありませんし、店が閉まり始めたら大体5時なので正直、正確な時間を必要とする場面がありませんでした。
もし日本だったら。公共交通機関はオンタイムであり、門限や友達との約束もオンタイムなので、こんな生活は続けられないでしょう。
次に日本とのつながりですが、日本との連絡を一切絶ったため、帰国した際に「もうどこかで死んでいると思っていた」と言われるほどでした。
持っているときは気が付いていませんでしたが、スマホに縛られていた私は、日本の友達から自分がどう見えているのかを常に意識していたようでした。「他人から見える自分」ではなく、「自分から見る自分」と向き合えるようになりました。スマホを失ったことで、日本とのつながりはなくなりましたが、その分フィジーで出会った人たちとのつながりは深くなったような気がします。
私が失った『正確な時間』と『どこかにいる”誰かの目”』。
この2つを失ったことで、私自身をしばりつけていた自分から解放されたようでした。こだわらなくても、気にしなくても、自分らしく生きていい。と失ったスマホが教えてくれました。
↑ 毎朝私を起こしてくれた鳥です。
オーストラリアでも同じ鳥を見つけ、思わず撮ってしまいました。
ATMから出てくるはずの現金が…
悪いことは続くものです。
スマホを失くした次の日はダイビングライセンスを取るコースの支払いの日でした。私は近くのATMからキャッシュパスポートを使い、お金をおろすことに。
しかし、何度やってみてもお金は出てきません。
仕方なく、その日はクレジットカードで支払いました。(たまたまカードを取り扱っているお店でした。) ※後にわかったことですが、入金の際の手続きに誤りがあり、引き出しできないようになっていました。
手持ちのお金は残り1万円ほど。はじめの2週間で2万円を使い切っていたため、正直焦りました。
お金はこれ以上引き出せない、でもスマホがないから親にも頼れない。不安は募っていくばかり。お金は減っていくばかり。
しかし、そんな私を救ってくれたのは、【お金ではなく人】でした。
ランチ代をセーブしていた私に「これ、ちょっとだけど。」とポケットにさりげなく5ドル札(フィジーのランチ1食分)を忍ばせてくれた友人がいました。
タクシー代も節約するため、8キロの距離を歩いていた私に「ただでいいから!乗ってきな!」と目的地まで送ってくれた初対面のフィジアンがいました。
私がお金がないのを知っていたため、カフェに行くのではなく、学校で先生の取ったマンゴーをかじって語ったり、ただビーチに行ってフィジーの人と話したりすることに付き合ってくれる友人がいました。
お金がなくて困ったことは他にもたくさんありましたが、毎回友人や現地の人の支えにより留学の半分の期間も充実した生活を送っていました。
留学中私を支え続けてくれた友人たちです。
写真はすべて帰国後に送ってくれました。
私の“本当に必要なもの“とは
朝は小鳥のさえずりと野犬の遠吠えで目覚めます。
目を覚ますと家族が朝食の用意をしてくれていて、一緒にお祈りをし、いつも通りのおいしいごはん。
学校に行けば友達と先生がいます。日本の友達とつながっていなければいけない理由は特にありませんでした。
暗くなったら家に帰り、家族とテーブルを囲みます。そして、今日も1日終わってしまったな、とベットに入ります。
こんな毎日、みなさんだったら退屈だと思うでしょうか?
私の日記には“こんな毎日”が幸せだと綴ってありました。
私がフィジーで感じた幸せは、モノやお金が満たしてくれるものではありません。モノやお金を失ったとき、私の心を満たしてくれたのは、『人』です。
私がモノを失い、途方に暮れていた日、初めて会ったフィジアンにこう言われました。『君は今とてもシリアスな顔をしている。何かあったなら話を聞いてあげるよ。』
家に帰り、家族にいろいろ失った話をすると『もうこれ以上悪いことが起きないようにお祈りしてあげよう。これで神様が守ってくれるから大丈夫。』
学校に行って友達に話すと『ひかるの代わりにたくさん写真を撮って日本に帰ってから送るね!』と言ってくれたり、お金をセーブするためにランチを分けてくれたり。
スマホやお金がなくても生活はできました。しかし、もし一人だったら私はきっと強くいられなかったと思います。
モノを失ったからこそ、人のやさしさを感じることができ、自分と向き合えました。毎日起こることが当たり前ではないこと、毎日起こることに小さな幸せが隠れていること。それらに気づけたことがフィジーで得られた私の大きな成長の1つです。
ちなみに、フィジー留学2回目のとき、私は先生やスタッフから【スマホと現金を失くした子】として印象に残っていたようです。そんな私が2回目の留学でも再びスマホ(iPhone6S二代目)を失う話は後ほど書きます。
スマホがなくても海はきれいでした
それではまた。