【学生コラム】裕福でなくても幸福度が高いのはなぜ?日本人にはないフィジー人が大切にしている習慣

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初めまして、サホと申します。
私は2019年9月から11月までフィジーで留学をしています。

まずは、私の簡単な自己紹介をさせていただきます。
1997年8月生まれ、千葉県出身。
高校卒業後、専門学校を1年目で中退し、社会人生活を2年半送った後、留学のためフィジーに初海外として渡航。
フィジー留学の目的は、この後に控えているオーストラリアのワーキングホリデーへ向けて日常英会話の習得と、個人的に運営しているブログの「異文化に触れ、日本にあってないものを探していく旅」というテーマに基づいた記事を発信していくためです。

本コラムの執筆は、お誘いいただいたのが先日でしたので、フィジーでの生活ももうすぐ終わりを迎えてしまいますが、オーストラリアでも執筆を続ける予定ですので、ぜひご覧ください。

始まったばかりの頃は長いと思っていた三ヶ月も、終わってしまえばやっぱりあっという間です。

今の心境としては、やっと現地の人たちとの距離感を掴めてきて、これからローカルなフィジーを楽しめそう!といったところで、この生活が終わってしまうのはなんだか少し心残りです。
元々異文化の体験を重視していたことや初の海外ということもあり、異国に対して、また日本に対しての見方が変化しつつあります。

ここ最近私の中で熱かったもの、それは教会に行くことです。

フィジーは主に先住民のフィジー系と移民のインド系の二つの人種が存在し、信仰している宗派もそれぞれ異なります。
私はご縁があって、現地の方と一緒にフィジー系のキリスト教徒の教会に連れて行ってもらいました。
と言いましても行かせてもらったのはたったの二回。先週が初めてだったのですが、もっと早くに行っておけばよかった・・

なぜそう思ったのか。

なぜならここでの時間は、私に新たな気付きと感性をもたらしたからです。
なぜ発展途上の決して裕福ではないフィジーの人々が世界の幸福度ランキングで1位になれたのか。そしてなぜ発展している日本の人々は幸福度が低いのか。
私なりに見つけられたことがここにあります。

今日はその想いを共有したいと思います。

初めて肌で感じた宗教という概念



平成9年生まれの私は、今まで宗教について触れる機会は正直学校の教科書の中だけ。
当時は歴史や世界の文化などにも全く興味がなく、宗教に関しての知識は皆無でした。
日本で生活していると宗教という響きはなんだか煙たがられてしまう言葉で、私も心のどこかでそう感じていた部分はありました。

そんな状態でなぜ教会に足を運ぼうと思ったのかは、単に現地ならではのことを体験してみたい。という好奇心からでした。

毎週日曜日の9時からその儀式は行われるということで、他の生徒も行ったことがあるということを知り、詳細はあまり聞かないまま行くことに。

予想を超えた大きな教会は、軽く千人ぐらいは収容できそうな規模にも関わらず、最前列から最後列までは集まる人でびっしりと埋まってしまうのだからびっくり。

私は二回とも前から二列目の席で参加させてもらいました。

儀式の内容は毎週少しずつ違うようですが、主な進行の仕方はここの教会の長が祭壇でマイクを片手に信仰しているキリスト教、神についての演説をします。そしてその傍ら、祭壇の脇では生演奏の歌と楽器が披露され、私たち聴衆はその流れに沿い、神を崇拝し歌を歌い踊ります。

なんとこれが3時間続くのですね(笑)

初めて参加した時は、理解することに精いっぱいだった半面、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。

日本人の私ですが正直なところ信仰している宗派はないに等しい環境で育ってきて、宗教を語るには難しいこともたくさんありますが、私は彼らが信仰している神の存在や神と私たちとの関係を理解できるし、偏見なく彼らのそういった行いを尊重しています。その為、儀式の内容自体はスッと心に落とし込むことが出来ました。

ではどこにショックを受けたのか。

そこには受け止めきれないほどの、人々の感情が溢れ出ていたからです。


彼らの姿を見て、私の心は日本にいた頃では到底味わえないような感覚を抱きました。

「神は私たちの心を知っている」彼らが信じるものと幸福の基準



儀式は英語と現地語とで進行され言葉が完全に理解できない中、私が目を奪われてしまったもの、それは

彼らの感情が解放されている光景にありました。


彼らはこの3時間という儀式の間に、まるで今までの人生を語るかのような、様々な感情を全身で表現するのです。

ある時ははち切れんばかりの笑顔で、心の赴くままに歌い踊り、そしてある時には悲しみのあまりに泣き叫び、それは膝から崩れ落ちるほどにその人の心を苦しめます。

彼らは心の底から神を崇拝し、そして神からいただいた己の命に対して、感謝、喜び、苦しみ、憎しみといった感情を、嘘偽りなくこの地で露わにするのです。

ここには存在する一人一人の感情の色があって、時には真っ白な尊さを、そして時には塗り潰された真っ黒な世界をも連想させます。

私はその光景をただひたすらと目に焼き付けることに没頭し、そしておもわず涙が零れそうなほどに彼らに心を動かされたのです。

なぜ私がこれほどまでに心を動かされたのか。

それは、私が今までにこんなにも感情を心のままに表現できた経験がなかったからです。


そしてこれは同時に、

「私は日本人である」というコンプレックスを突きつけられたようでした。


私がこの数カ月、悩み、葛藤し、恥ずかしみ、自分の心と向き合うことがいかに大切で難しいかということを痛感していた中、彼らはそれを幼い時から当たり前のように出来ているということを思い知らされた瞬間でした。

彼らは自分の心をよく知っているし、そして感情を表現することに恥ずかしいなんて微塵も思っていないのです。

明らかに日本と違う文化がここにありました。

私を教会へ連れて行ってくれた知人の女性は、私にこう教えてくれました。

幸せの基準はお金ではない。
仕事に心を悩まされる必要もない。
私たちは食べれること、健康であること、そして生かされているということに感謝しなければならない。
私たちは決して神を目にすることが出来ない。
しかし私たちは心で感じることが出来る。
神は私たちの心を知っている。
彼らの幸福はここにあった。


私は全ての意味が理解出来た時、彼らの想いを誰かに伝えなければならないと強く感じました。

電車も無い、発展の遅れた国で不便な生活をしていると思っていた彼らの幸せの基準は、実は日本人よりも遥かに質の高いものなのかもしれない。

ないものねだりで、幸せの基準は人それぞれ異なるものだとも思うけれど、私はただ純粋に彼らの豊かな表情と何かに満たされている心が羨ましかった。

自分と向き合うということ



彼らは毎週日曜日の決まった時間にこの儀式を行います。

それはすなわち、生活の中に自分と向き合う時間が習慣化されているということ。


私は初めて教会に訪れた時に、ここには毎週このような光景が繰り広げられているのか、自分の目で確かめなくてはならない。とそう思い、もう一度足を運ぶことにしました。
フィジーに来たばかりの頃に買った現地のドレス(正装)を着て、私はこの気付きを元に果たして何を感じることが出来るのだろうか。
そして二度目の儀式が終わった時、何となく予想していた答えは、正解だったのだという確信に変わりました。

彼らは毎週嘘偽りなく心の底から神を崇拝し、そして自分の心に向き合っている。


私は気付けばみんなと一緒に手を叩き、会話を交わし、そして彼らと同じように自分の心と向き合っていました。
それはとても楽しくて、価値のある時間だったと心から思えます。

日本でこの習慣が出来ている人は果たしてどれほどいるのでしょう。

そしてそこに時間をかけることに対しての価値を見出せる人は少ないのではないでしょうか。

日本にはフィジーにないものがたくさん溢れていて、比べてしまえば、便利に快適に過ごせることは間違いはないです。
ですが、フィジーにあって日本にはない大切なものがあるということを、私はこの現地で、そして肌と心で感じてしまいました。

日本人は幸せという定義に対して、一度考え直す必要があるのかもしれない。


何が本当に自分を幸せで満たしてくれるのか。

それを見つけるためには、現状の生活のどこを改める必要があるのか。

時間がないなんて言い訳は、これからの時代は逆に格好悪いとさえ思ってしまう。

きっと現代の日本で、フィジーで行われているような自分と向き合うことにフォーカスさせた慣習を取り入れてみても、

「それは宗教だ」

という一言で偏見の目を向けられ、組織として実行することは難しいと感じています。

それならば例え小さな声だとしても、こうして発信することで誰かの考えるキッカケになることは価値のあることだと思うし、自分の人生を幸せにしたいと思うならば、個人でこういった外部のことに目を向ける勇気を持たなければならないと私は強く思います。

私はフィジー生活の最後に素晴らしい気付きと良い経験に出会えたことに感謝しなければならない。そう感じています。

フィジーが幸福な国と呼ばれる理由を、見つけたられたような気がしました。

 

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